呼吸の瞑想、16の段階——アーナーパーナサティ経を読む

瞑想・実践

パーリ語経典の中に、呼吸だけを対象にした瞑想法を、最初から最後まで体系的に説いた経典があります。MN118「入出息念経(Ānāpānasati Sutta)」です。

この経は、安居(雨季の集中修行期間)を終えた僧侶たちに向けて説かれたと伝えられています。ある程度修行を積んだ人たち向けということもあってか、文章自体は驚くほど簡潔で、初心者に向けた手引きという感じではありません。それでもパーリ経典の中では最も体系的な瞑想指導のひとつとされ、後世のほぼすべての呼吸瞑想がここに何らかの形でつながっていると言われます。

16段階に分けられた呼吸への気づきは、4つずつ四つの組にまとめられています。この構成は仏教瞑想の基本枠組みである「四念処(しねんじょ)」(身・受・心・法への気づき)に沿ったものです。第一の組が身、第二が受、第三が心、第四が法にあたります。この対応関係を頭の片隅に置いておくと、16段階が単なる技法の並びではなく、一つの筋道として見えてきます。

第一の組 —— 身体への気づき

段階 内容
1 長い息を吸っているときは「長く吸っている」と知り、長い息を吐いているときは「長く吐いている」と知る。
2 短い息を吸っているときは「短く吸っている」と知り、短い息を吐いているときは「短く吐いている」と知る。
3 「身体全体を感じながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
4 「身体の働きを静めながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。

まず呼吸の長さに、ただ気づくところから始まります。変えようとする必要はありません。次に、呼吸を身体全体で感じるように広げ、最後に、呼吸にともなう身体の緊張や動きが自然に静まっていくのに任せます。

1〜2段階は、鼻先か腹部か、自分が一番感じやすい場所を決めて呼吸を追うだけで十分です。長いか短いかを判定しようと構える必要はなく、今の息がどうであるかを、そのまま受け取ればいい。3段階目の「身体全体で感じる」は多くの人が戸惑うところですが、頭で全体を想像するより、呼吸のたびに胸や腹に生じるわずかな動きを、感じられる範囲で追ってみるほうが実際的です。4段階目の「静める」も、意図的に呼吸を遅くしたり深くしたりする話ではありません。観察を続けているうちに、力みが勝手にほどけていく。それを邪魔しないで見ているだけです。

20世紀のタイ仏教を代表する僧、ブッダダーサ比丘(Buddhadasa Bhikkhu)は、この最初の段階をさらに丁寧に展開しました。彼の実践指導書Mindfulness with Breathing: A Manual for Serious Beginners(Wisdom Publications, 1988/タイ語からの英訳:Santikaro Bhikkhu)では、「長い・短い」だけでなく、呼吸には「粗い・細やか」「楽・苦しい」など、さまざまな性質があると説かれます。

呼吸の質感を観察し、その質が自分の心の状態とどう連動しているかを見る。呼吸を窓口にして、心そのものを読み取っていく方向性です。気が急いているときは呼吸が浅く粗くなり、落ち着いているときは自然に細やかになる。この対応を理屈で理解するのではなく、座るたびに何度も確かめていく作業になります。

ブッダダーサはまた、実践上きわめて重要な指摘をしています。瞑想の座に着くたびに、必ず第一段階からやり直すべきだ、というものです。前回どこまで進んでいたとしても、今日のこの一回は、また一段階目から始める。積み上げるのではなく、毎回ゼロから基礎を確認する姿勢です。「早く先に進みたい」という焦りが出てきたときほど、この指摘は効いてきます。基礎が定まらないまま先の段階を真似ても、実感の乗らない技法遊びになってしまうからです。

第二の組 —— 感覚への気づき

段階 内容
5 「喜び(ピーティ)を感じながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
6 「安楽(スカ)を感じながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
7 「心の働きを感じながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
8 「心の働きを静めながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。

身体が落ち着いてくると、喜びや安らぎといった穏やかな感覚が現れてきます。この組では、その感覚そのものに気づき、さらにその感覚(受)が心にどう影響しているかを見つめ、最後にその働きを静めていきます。

ピーティとスカはよく混同されますが、ピーティはやや高揚感のある、身体的にはっきりわかる喜びで、スカはそれより静かで長続きする安らぎだとされています。段階が進むにつれて、粗い喜びから静かな安楽へ質が変わっていく、という流れで捉えるとつかみやすいでしょう。一つだけ注意しておきたいのは、こうした心地よさを追い求めないことです。感覚が現れたら気づき、消えるならそのまま見送る。安らぎを目標にして頑張ると、第一の組で静めたはずの力みがまた戻ってきてしまいます。

第三の組 —— 心そのものへの気づき

段階 内容
9 「心の状態を感じながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
10 「心を喜ばせながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
11 「心を集中させながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
12 「心を解き放ちながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。

ここからは、身体や感覚ではなく、心そのものが対象になります。今、心がどんな状態にあるかに気づき、それを整え、集中させ、こわばりから解き放っていきます。

9段階目の「心の状態を感じる」は、心が浮き立っているか沈んでいるか、散っているかまとまっているかを、良し悪しの判断を挟まずただ確認する作業です。10段階目の「心を喜ばせる」は無理に楽しい感情を作ることではなく、瞑想そのものへの興味をそっと育てるような関わり方だと考えると近いかもしれません。11〜12段階にかけて、心は呼吸に留まりながらも力が抜けていきます。集中と弛緩が同時に成り立つこの感覚は、説明されて理解するより、実際に座って掴む部分がどうしても大きいところです。

第四の組 —— ものごとの性質への気づき

段階 内容
13 「移り変わりを見つめながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
14 「執着の薄れを見つめながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
15 「止むことを見つめながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。
16 「手放すことを見つめながら吸おう、吐こう」と自らを訓練する。

最後の組では、呼吸を対象にしながら、無常(すべては移り変わること)、執着が薄れていくこと、働きが静まっていくこと、そして手放していくことを見つめます。ここでは集中の技法を超え、洞察(ヴィパッサナー)へと向かっていきます。

抽象度が高く、初心者がいきなり実践するのは難しい部分ですが、手がかりはあります。一呼吸一呼吸が実はまったく同じではなく、微妙に変化しながら生まれては消えていく。その様子を、ただ眺めてみることから始められます。無常を理屈として理解するのではなく、呼吸という具体的な現象の上で、生まれて消える様子を繰り返し目にする。それが第四の組の土台になります。焦って先取りしようとせず、第一から第三の組が安定してから自然に開けてくるのを待つくらいで十分です。

経典を実践に橋渡ししてくれた二人

16段階の経文は簡潔な言葉で書かれているため、初めて読むと、実際にどう座ればよいのか戸惑うこともあります。

この経典を実践という角度から読み解いた現代の重要な人物が二人います。

ひとりは、先述のブッダダーサ比丘です。飾らない率直な語り口で、実際の座る経験に即して16段階を説明しました。

もうひとりは、学僧アナラーヨ比丘(Bhikkhu Anālayo)です。著書Mindfulness of Breathing: A Practice Guide and Translations(Windhorse Publications, 2019)は、前半で実践的解説を行い、後半では漢訳阿含に伝わる並行経典の翻訳を収めています。パーリ経典の講解に、漢訳並行経典との比較という方法を組み合わせた一冊です。音声による瞑想指導も出版社サイトで公開されています。

両者に共通しているのは、16段階の暗記を目的にしない点です。経典の言葉を、実際に座る経験へと翻訳する作業を丁寧に行っています。体感を重視するならブッダダーサ、経典学的な裏付けを求めるならアナラーヨ、という向き不向きはありますが、読み比べてみると、同じ16段階でも語られ方の違いから見えてくるものが変わってきます。

全部を一度にやる必要はない

16段階と聞くと身構えてしまいますが、ブッダダーサやアナラーヨなど現代の指導者たちは、これを一度に全部こなす必要はないと述べています。とくに第一の組(1〜4段階)だけでも、それ自体で十分に完結した実践になると説明されます。

呼吸の長さに気づき、身体全体で呼吸を感じ、その働きが静まるのに任せる。この練習だけでも、長く続ける価値があります。後の組は、実践が深まるにつれて自然に開かれていくものとして位置づけられています。

初めて取り組む場合は、第一の組だけを数週間から数ヶ月繰り返してみるのが現実的です。1回10〜20分程度から始め、無理に長く座らないほうが続けやすいでしょう。呼吸への気づきが安定してきた、身体の緊張がほどけていく感覚がつかめてきた、といった実感が出てきたら、第二の組を少しずつ加えていく。16段階を一度に全部「実行」しようとする必要はまったくありません。

なお、「呼吸を10まで数える」という方法は、この経典本文にあるものではありません。5世紀の注釈書『清浄道論(Visuddhimagga)』第VIII章に見られる、集中を助ける補助的技法です。慣れないうちの支えとして用い、慣れてきたら数えるのをやめてよいとされています。数えなくても呼吸が自然に意識に留まるようになったら、それがやめる目安になります。


本文中の主な参照

  • MN 118(中部・入出息念経 / Ānāpānasati Sutta):SuttaCentral(原文・英訳〔Sujato訳ほか〕)および Thanissaro Bhikkhu訳(dhammatalks.org)参照。
  • 四念処(satipaṭṭhāna)との対応:DN 22(大念処経)・MN 10(念処経)。
  • 呼吸を数える技法:ブッダゴーサ『清浄道論(Visuddhimagga)』第VIII章。
  • Buddhadasa Bhikkhu. Mindfulness with Breathing: A Manual for Serious Beginners. Wisdom Publications, 1988. Translated from the Thai by Santikaro Bhikkhu.
  • Anālayo, Bhikkhu. Mindfulness of Breathing: A Practice Guide and Translations. Windhorse Publications, 2019.